あ〜暑い。
こんなに暑いんじゃ仕事にも手が付けられないな。
俺は白紙の書物を閉じ、数多く積まれた資料の上に置いた。
夏が暑いのはあたり前だ。
だが今日は一段と暑く感じる。
「井戸にでも行くか」
誰にでも言うわけでもなく呟き、俺は自室を後にした。

違装の章


社に来てからというもの、暑い日が続きすぎている。
普通、山の中なんだからもう少し涼しくてもいいと思うのだが…。
仕事もあんまり進んでいないな。
半分は神奈のせいだ。
仕事中もお構いなしに俺を呼びつけやがって。
まったく。
あいつのわがままにも困ったものだ。
しかし、考えてみれば、神奈のわがままの半分以上は裏葉が受けているんだろうな。
裏葉も四苦八苦しているのだろうな。
互いに神奈には苦労しているんだな。
ま、好きでやっていることだから、文句は言えないな。
そうこう思っているうちに井戸に着いた。
そして、袴の上を脱ぎ、井戸も水をくみ上げる。
その水を一気に上半身にかけた。
あ〜、気持ちいい。
さっぱりするなぁ。
濡れた髪を振り払う。
髪を濡らしていた水は、水しぶきとなって辺りにまき散る。
陽光と交ざり水しぶきが煌く。
何でこういうことを男がやっているんだと、思うが気にしないでおこう。
さて、仕事に戻りますか。
部屋に戻ろうとした時、遠くからの視線に気づいた。
キュピ〜ンと音が出るほどの目つきでそちらの方を見た。
俺を見ていた誰かは、すかさず隠れる。
しかし、バレバレだった。
現に、俺を見ていたことくらい分かっていたし、それに動きが遅い。
顔は遠くからで見えなかったが、服装で安易に誰か分かる。
裏葉だ。
緑色の着物といえば裏葉しかいまい。
しかし、妙だな。
裏葉なら俺に気づかれずに背後に回ることなど容易い筈。
視線を気づかれるような失態はしない筈なのだが…。
「衛門様…」
あれこれ考えを模索しているうちに、女官が俺に話し掛けてくる。
「なんだ?」
「神奈備様がお呼びでございます」
「分かった。今すぐに向かう」
いつもなら、裏葉が俺を呼びに来るはずなのだが…。
さっきの裏葉は何故だか知らないが、様子がおかしかった。
神奈が俺を呼ぶのも、それに関係しているのかもしれないな。
急いで向かうとするか。
早足で神奈の部屋に向かう。
「神奈、俺だ。」
返事がない。
「部屋に居ないのか?」
また、返事がない。
居ないのか…。
仕方がない、女官に神奈の場所を訊いてみるか。
部屋の前から立ち去ろうとした時、襖に紙が挟んであるのに気づいた。
それをとって見る。
「柳也殿ゑ」と書いてある。
どうやら俺宛らしい。
紙を広げ、内容を読んでみる。
「はよ、中には入れ!!」
…………。
何を考えているんだあいつは。
そんなこと口で言えばいいことじゃないか。
ワザワザ文を書き、挟む事だってないのに…。
しかもその為に、部屋に居るのに返事もしなかったのか?
少々呆れた感じで神奈の部屋の襖を開ける。
神奈は丁寧に座って待っていた。
こちらから見れば後ろ向きに座り、顔を見せてはいない。
しかし、あの特徴的な服装だ。
人目で神奈と分かる。
背の部分が特殊になっており、翼を絞めつけることなく着ることが出来る着物。
そして、神奈特有の翠髪の髪…。
ん?
翠髪?
「神奈様に見えますか?柳也様?」
「何をしているんだ?裏葉」
そこに居たのは、神奈ではなく裏葉だった。
しかもご丁寧に神奈の服まで着て…。
「よよよ〜。仰ってくれることは、それだけなのですか?」
裏葉が泣き崩れながら俺に言う。
たぶん嘘泣きだろう。
最近、裏葉の性格や行動パターンというものが分かってきた。
しかし、嘘泣きにしても本当に涙を流すことが出来るなんてすごいと思う。
演技派とでも言うのだろうか?
裏葉はいつもの様に袖で涙を拭う仕草をしているが、神奈の衣装を汚さぬよう、袖に布を当てていた。
なんだか無駄のような気もするが、その仕草に神奈への思いが伝わってくる。
裏葉らしいといえば、そうだな。
「で?それはともかく、どういう経過でそうなったのか、詳しく聞かせてもらおうか?」
「それはですね」
泣き顔がいつもの裏葉の笑顔に変わる。
やっぱり嘘泣きだったか…。
「それは、今朝方のことになります…」


「のう裏葉?」
「はい、何で御座いましょう?」
「柳也殿は、いつもどんな仕事をしているのか?」
「う〜ん、そうですねぇ…」
「わたくしが柳也様の御所へ向かう時は、大抵書物をお書きになっていること多いですね」
「他には?」
「他ですか?…はて?…やはり御本人に直接訊いてみてはいかがですか?」
「柳也殿は余に教えてくれなんだ」
「子供の知ることじゃないって…」
「それは柳也様が悪いですね」
「余は柳也殿がどんな仕事をしているのか知りたいのだ」
「そうですか…、わたくしがこっそり見てきましょうか?」
「それはダメだ!!」
「?」
「…いや、のう裏葉、余がこっそり見てくるのはダメか?」
「それはいけません神奈様」
「何故なのだ?」
「神奈様御自身が殿方の寝室へ向かわれるなど、有っては成りません。例え何もなくても…。神奈様が柳也様を御呼びになる時もわたくし達、女官が神奈様たちの間に入りますよね?それと夜はもっとダメです。夜ばいになってしまいますからね」
「よばい?」
「まだ神奈様が御知りになることではないですよ」
「うぬ〜、裏葉も余を子ども扱いするのか?」
「いえいえ、そんなつもりは御座いませんよ。ただ、今の神奈様にはまだ必要のない雑識ですから…」
「そうなのか?」
「はい、そうで御座います」
「それならば良いのだが…」
「そうだ裏葉」
「はい?」
「余と入れ替わろう」
「はい〜?」
「余の服と裏葉の服を入れ替えて、余が女官の姿になり、こっそり柳也殿の仕事を見てくるのだ」
「そんな、神奈様の御着物をわたくしめが着るなんて、恐れ多いこと出来ません」
「良いではないか、余が良いと言っておるのだから」
「しかしながら…」
「ええ〜い、はよ脱がんかい!!」
「あ〜そんな、御無体な〜。あ〜れ〜」
「うう、神奈様、強引で御座いますよ」
「まぁ、良いではないか。それより、早く着付けをしてくれぬか?」
「はい、わかりました。…しくしく」
「あ〜もう。鬱陶しい。悪かったって言っておろう」
「はい、もう気にしておりませんよ」
「すりすり」
「すべすべ」
「ところで裏葉、さっきから何をしておる?」
「あ〜神奈様の生肌。すべすべしていて気持ちいいです」
「やめんか!!離れろ〜、気持ち悪い」
「気持ち悪い!?そうですね…、それではわたくしはこの部屋から離れます」
「ちょっと待て、何もそこまで離れろとは言っておらん。それに余をこんな格好で置き去りにするでない」
「すりすり」
「あ〜ここまで戻るなって!!」
「…………」
「だから部屋を出るなって」
「すりすり」
「それは、もう良い…」
「そうですね、今は柳也様もいませんから、誰も止めて下さいませんからね」
「……はい。着付け終わりましたよ神奈様」
「うむ。…背中がきついな」
「神奈様の御着物は翼を保護するように出来ておりますので、わたくしの着物は少々きついかもしれませんね。少し、緩めましょうか?」
「いやいい。ぶかぶかしていてこれ以上緩めると着物がずり落ちてしまいそうだ」
「はい、そのように」
「ほら裏葉。お前も早く余の服を着るのだ」
「本当に宜しいのですか?」
「何度も言わすな」
「……わたくしには少々小さいようですね」
「気にするな。似合っているぞ裏葉」
「ご冗談は御止めください」
「冗談なものか。余がそう言っておるのだ。間違いない」
「有難う御座います。」
「うむ。この着物、裏葉の香りがするな」
「はい、神奈様の御着物も神奈様の香りがします」
「なんだか、安心するな」
「ええ、そうでございますね」
「…そうだ!!」
「?」
「これで柳也殿を驚かしてみよう」
「はて?一体どのように?」
「余が柳也殿の仕事を見終わったら、柳也殿をここへ呼ぶのだ。そして、余の姿に扮した裏葉が柳也殿を出迎えるのだ」
「声色とかで柳也様に分かってしまうのではないですか?」
「裏葉は何も言わなくて良いのだ。襖に柳也殿充ての文を挟んでおけば大丈夫だ」
「ふふふ」
「柳也殿が驚く姿が目に浮かぶようだ」
「あらあら、柳也様お怒りになりますよ」
「良いのだ。余を子供呼ばわりした罰だ」
「ふふふ、行ってらっしゃいませ。神奈様」


「という訳で御座います」
はぁ、なんと言えばいいのか…。
ということはさっきの視線は神奈だったのか。
道理で裏葉にしては気配が有り過ぎる訳だ。
「で、裏葉。お前は俺にそんなことを言っていいのか?神奈との秘密ではなかったのか?」
「神奈様とは何も約束していませんし、それに柳也様に訊かれたから応えただけです」
「そうか…」
裏葉はそこらへんのことはしっかりしているな。
もし、神奈がふたりの秘密と約束していたら、どんな拷問を受けようが口を割ることは無いだろうな。
神奈の着物を着ることを断ったことといい、女官としては有能だ。
「それにしても、何か嬉しそうだな、裏葉」
「ええ、それはもう。念願の神奈様の御着物を着ているのですから…」
前言撤回!!
裏葉はずっとこの機会を狙っていたんだ。
しかも、神奈に襲われるようにも仕組んだに違いない。
まったく、どこまで計算しているのか。
恐ろしい…。
「ところで、神奈はここへは戻ってきていないのだな?」
「はい、まだ戻ってきていません」
「まったく、どこで寄り道をしているのか…」
「捜しに行かれるのですか?」
「あたり前だろ?何処をほっつき歩いているのやらあの姫さんは…」
俺の言った冗談に裏葉がクスっと笑う。
「裏葉は捜さないのか?」
裏葉は少し困った顔をしながら言った。
「この服装ではちょっと…」
「それもそうだな」
神奈の格好で出歩かれたら他の女官たちも驚き、違う意味で迷惑を蒙るからな。
捜すどころじゃなくなるな。
「それに、まだ神奈様の御着物を着ていたいですし…」
まだ言うかこの女…。
「神奈の行きそうなところに心当たりはあるか?」
「ありますよ」
裏葉は即答した。
よほど自信があるのだな。
神奈が良く行くところでもあるのだろうか?
「それはどこだ?」
「柳也様の御部屋です」
「はぁ?俺の部屋?」
「はい、そうでございます。柳也様の御部屋です」
「何でそんなところに神奈が行くんだ?」
「面白いものなんて何にも無いぞ」
神奈が行く場所が俺の部屋なんて、訳が分からない。
そんな俺の心中を知ってか、裏葉は微笑みながら言った。
「誰しも、好きな殿方の部屋に興味はありますよ」
好きな殿方?
「それも、人に聞くより自分自身で確認してみたいものなんです」
そうなんだろうか?
女心は分からない。
「とりあえず、行ってみるか」
そう言って俺は神奈の部屋を後にした。
「柳也様」
が、裏葉に止められた。
「何だ?」
裏葉は少々厳しい表情で言った。
「神奈様が寝室に居るからって、強引に押し倒したりしてはいけませんよ」
「俺がそういうことをするような奴に見えるか?」
裏葉はさっきとは打って変わって笑顔で言った。
「全然」
即答された。
それも悲しい気がする。
「柳也様は御やさしいですから」
「なら何故言うんだ」
「念のためです」
念のためか…。
「それにわたくしが動けない分、余計に心配なのです」
「ふっ、何もしないから安心しな」
「柳也様は、やく…いえ、行ってらっしゃいませ、柳也様」
なんだ?
裏葉は何を言おうとしたんだ?
やく…何なんだ?
気になるぞ。
「裏葉今なんて言おう…」
「はいはい、柳也様行ってらっしゃいませ」
裏葉は笑顔で俺の背中を押し、外へ追いやる。
まるで、何かを隠すように…。
そして、部屋を出た俺は、少し歩き神奈の部屋の方を見る。
裏葉が布を手に持ちヒラヒラと振っていた。
その笑顔が早く行けと急かしているように思える。
そして俺は自分の部屋に戻った。
裏葉の言ったことが本当ならば神奈はここに居ることになる。
俺は部屋の襖を開ける。
そこには神奈が居た。
しかも、俺が仕事の合間に食べようと思っていた甘菓子を全部食べていた。
さらに言うなら、俺が部屋に入ってきたことにすら気づいていない。
「何をやっているんだ?神奈」
急に自分の名前を言われビックリしたのか、神奈は甘菓子を喉に詰まらせえてしまったらしい。
「けほっ、けほっ」と可愛くむせる神奈。
何とか喋れるようになったみたいで、神奈は俺にこう言ってきた。
「何を言っておる。余…わたくしは、神奈様ではなく、裏葉だぞ」
この場でそう言える神奈がすごいと思う。
しかし、声が裏返っている。
「口調がおかしいぞ」
「やっぱりばれたか…」
それ以前の問題だ。
「柳也殿驚いたか?」
神奈は目を光らせながら俺を見てくる。
正直言って、分かっていたので驚きなんてまったく無い。
驚いたことといえば、裏葉が言った通りに神奈が俺の部屋にいたことだ。
しかし、神奈に上目づかいに見られるとなんともいえない気持ちになる。
俺は神奈から目を逸らしながら言った。
「まぁ、それなりにな」
俺の驚いたという言葉を聞き喜ぶ神奈。
「やったぞ、柳也殿を驚かせた」
何がそんなに嬉しいのか分からない。
これも女心という奴だろうか。
はしゃぐ神奈を見て俺は本来の目的を思い出した。
「帰れ!!」
「え!?」
「まったく、こんな格好をしてここまで来て、尚且つ俺の甘菓子を食べやがって…。早く自分の部屋に戻るんだ」
神奈は頬をぷぅっと膨らませる。
俺は嫌がる神奈を引きずりながら、神奈の部屋に連れ戻した。
「お帰りなさいませ」
あたり前だが、部屋では裏葉が出迎えた。
神奈の不服そうな顔を見、裏葉は怪訝な顔で俺を見る。
「まさか…柳也様…」
「していない。していない」
俺はすかさず手を使い何も無いことを合図する。
「拗ねているだけだ」
そう言うと、裏葉はクスっと微笑む。
「あとはお任せください」
「ああ、頼んだぞ」
神奈を裏葉に任せ、俺は自分の部屋に戻った。
はぁ、しかし、また神奈絡みで仕事が遅れた。
今から続きをするか…。
机の前に腰掛け、筆をとる。
ん?
何だこの紙は…。
机の上に一枚の紙が置いてあった。
見覚えの無いものだった。
中を開けてみる。
それには、神奈の字でこう書いてあった。
『仕事、がんばるのだぞ』
ふっ、神奈のやつ…。
粋なことをしてくれる。
これなら、仕事が捗る気がする。
そして、俺は書きかけの書物を開けた。
次の瞬間、俺は脱力した。
書物の白紙のところに神奈の落書きが描いてあったのだ。
もう、この書物は使い物にならない…。
かぁ〜んなぁ〜〜〜〜!!
俺は足早に神奈の部屋に駆け込んでいった。





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