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わたしは、その場所に降り立った。 懐かしいその場所。 愛する者を置いてきた場所。 「わかりますか?」 住職さんの声にわたしは微笑む。 「あの子ですね?」 わたしは、ひとり淋しそうに佇む少年を指差す。 住職さん黙って頷いた。 やっぱりあの子がそうなんだ。 母親がいなくて、いつも淋しそうにしている子。 あの子の瞳からは、淋しさが溢れ出していた。 心から笑ったことが無いのね。 でもそれが私のせい…。 そう思うと、胸が痛くなる。 「これからどうなさるおつもりですか?」 「少し、仕事をしようかと思います」 わたしは住職さんに深く礼をしてから、あの子に見つからないように路上に出た。 わたしは大道芸を生業としている。 法術を使い、手も触れずに物を浮かせたり、人形を動かせたり出来る。 一般的には種も仕掛けも無いマジックとして見られている。 でも、わたしは、どんな捉え方にせよ、わたしの芸を見て笑ってくれる人が大好きだった。 笑ってくれる人の為に、わたしは精一杯努力した。 笑ってくれる人が、好きだから…。 あの笑顔が、好きだから…。 あの笑顔を、救いたいから…。 わたしの芸を見て、多くの人が集まってきた。 感動する人、感心する人、怪しむ人。 みんなそれぞれの感情を持っているけど、見てくれるのが嬉しい。 大人たちの足の間を掻い潜って、あの子が顔を出してきた。 不思議そうな目でわたしを見ている。 そんなに珍しいのかしら? それとも、わたしの芸が楽しい? 心の中の問いかけを秘め、わたしはあの子に微笑みかける。 フフフ、ビックリしているみたいね。 どう?楽しい? 夕刻が近づき、辺りが赤く染まり始める。 わたしの芸は終わり、観客は御布施を置いて帰っていく。 このお金がわたしの収入になる。 今日の稼ぎはまあまあかな? 後片づけをしている時、わたしを見る視線に気づいた。 あの子がわたしを見ていた。 なにか言いたげな表情だね。 なにがいいたいの? わたしは、あの子に近づく。 「こんにちは」 わたしから声をかけられたのが意外だったのか、あの子は目を丸くした。 そして、ちいさな声でわたしに言った。 「おばちゃん誰?」 「わたし?」 「うん。おばちゃん」 失礼ね、これでもわたしは若いのよ。 まったく…。 でも…ありがとう。 わたしは古びた人形を握りしめた。 お願い、わたしに勇気を貸して…。 言うのよ…。 「お母さん」 「え!?」 「ね、わたしがお母さん。あなたの母親」 往人……。 Toi et moi 〜 mon aime fils 〜 それから、わたしは往人を預けたお寺にお世話になることになった。 少しの間でも、往人の側に居たかったからである。 成長した自分の息子を見て、わたしは何とも表現のし辛い感覚に陥っていた。 わたしの旅には連れて行けないので、お寺に預けてしまった。 本来なら、母親と名乗ることさえ許されないはずなのに…。 往人は、わたしを母親と認めてくれるのだろうか? 往人は、わたしが母親と名乗っても、何の変化も見せなかった。 動揺している風にも見えなかった。 たぶん、いきなりの事だったから、なにがなんなのか分からなかったと思う。 わたしは今更、なぜここへ戻ってきたのだろう。 その夜、わたしはいろいろなことを考えて、眠れなかった。 どうすればいいのか。 何を伝えればいいのか。 結局、わたしには母親として往人に伝えられるものなんて無かった。 それならば、わたしは旅について話そう。 わたしが生きてきたことについて話そう。 わたしの生業。 わたしの生きる目的。 わたし達の定め…。 わたしは…母親でも何でもなかった…。 朝早く、わたしは往人に会いに行った。 往人はパジャマでわたしを出迎えた。 朝が辛いのかな? 寝ぼけ眼を擦りながら、服に着替えようとする往人。 それを手伝おうと、わたしが手を貸すと往人はそれを嫌がった。 それが無性に可愛く感じる。 いたずら心から、いじめたくなってしまう。 う〜、がまんがまん。 母親らしいことを一度もやったことがなかったので、なにをするにも楽しく思えてしまう。 でも、何をすればいいのか分からない。 仕方が無いので、せっせと着替えをしている往人を、ぼうっと眺めながめて待つ。 …………。 やっと終わった。 着替えに15分か…まだまだ子供だね。 あたり前だけど。 着替えが済んだ往人は、わたしが何をしに来たのか考えるように、黙ってわたしを見ていた。 さて、何から話そうかな…。 いざ本人を前にしてみると、頭が真っ白になってしまうって本当なのね。 寝ないで、考えていた我が子との対話。 それが今、わたしの中ではまったくイメージできていない。 あれだけ考えていたのに〜!! ひとりで慌てふためくわたしを見て、往人は呆れていた。 ふいにわたしのポケットから人形が落ちた。 「この人形はなに?」 往人が古ぼけた人形に興味を持った。 わたしは落とした人形を手にとる。 わたしの家系で代々この人形は受け継がれてきた。 ただの古ぼけた人形ではない。 この人形はわたし達の先祖すべての願いが詰まっている。 悲しい思いをして、そして、次の子に思いを託していく。 いつか叶えと、願いを託して…。 いつかわたしも、この人形の思いの中に入る時が来る。 恐くは無い、往人がいるから…。 往人にわたしの全てを託したいから…。 そうよ、先ずは法術を使えるようになればいいのよ。 そうすれば、往人のことが少し分かる。 そして、往人と触れ合える。 「この人形がどうかしたの?」 「古くて、汚いから…」 ガクッ。 わたしは心の中でがっくしと、うな垂れた。 古くて汚いって、酷いよ。 これでもしっかり洗ってあげているんだから…。 ああ、可哀想な人形さん。 でも、わたしもそう思っていたりするんだよね。 ホントに古いから。 一体いつ頃からこの人形が出来たのか分からない。 たぶん、わたし達が旅を始めた時から有ったんだと思う。 そんな気がする。 この人形は、わたし達の旅をずっと見てきたんだ。 そして、悲しみも一緒に…。 「それにこの人形、歩いていた」 往人はわたしがこの人形を使って大道芸をしていたのを知っていた。 覚えていてくれたんだ。 なんか、嬉しいな。 …教えてあげたい。 往人も歩かせることが出来るんだよって。 でも、教えてしまったら…。 一瞬、あの時の悲しみが舞い戻ってきた。 (わたしから、離れて…) もし、教えてしまったら、往人はあの悲しみを受けることになるんじゃないだろうか? 往人には強制したくは無い。 だけど、わたし達がやってきたことは、大事なこと。 わたしのわがままで、お母さん達の思いを消すことなんて出来ない。 わたしがやめてしまったら、あの子を救ってあげることが出来なくなる。 それだけは、許されないこと。 もう二度と、あの子のような子を出してはいけない。 わたしは笑顔で往人に言った。 「この人形はね、ひとを笑わせる…楽しませることが出来る道具」 往人はイマイチって顔をしている。 よく分からないのは、判るけどね。 説明するより、体験しなきゃ始まらない。 「ほら、持って」 わたしは往人に人形を手渡した。 往人は人形に目を見つめ、何をどうすれば良いのか解からないといった感じだ。 そうして、困った顔でわたしを見てくる仕草が可愛い。 「動かしてみて」 ますます困った顔をする往人。 もう、抱きしめたくなっちゃう。 「こうするのよ。指先を当てて…」 そう言ってわたしは人形に指を当てる。 そして、人形はむくりと立ち上がり、歩き出す。 時折ジャンプさせてみたりする。 往人はその光景を、目を輝かせながら見ていた。 わたしは歩き回る人形の首もとを掴み上げる。 そのままジタバタする人形をそのまま往人の手に戻してあげる。 往人の手に渡った人形はピクリとも動かなくなった。 「思えば通じる。思いは通じるから」 往人なら出来る。 だって、わたしの子だもの。 でも、人形は動かなかった。 いくら往人が人形に指を当てても、人形は立ち上がらない。 どうしてなの? 往人はどう思っているの? 「今、往人はどう思っている?」 往人は黙ったまま俯いている。 「人を笑わせたいと思っている?」 それは大事なこと。 人を笑わせたいと思うこと、それは願い。 願いは法術に強く影響を及ぼす。 でも、往人は俯いたまま首を横に振った。 「そうじゃないと動かせないよ」 わたしがそう言っても、往人は解かってくれていないみたいだった。 「動かしたい思いじゃなくて、その先の願いに触れて、人形は動き出すんだから」 その言葉に、往人は反応していた。 「……ねがい?」 「そう、願い」 しかし、往人はそう言ってまた俯いてしまった。 もう、今日は止めておいたほうがいいかな。 次の日、わたしは往人と一緒に散歩をしていた。 歩きなれない道を歩きながら、往人が育った町を見ていた。 やがて、公園についた。 そこには、往人と同じくらいの子供たちが無邪気に遊んでいた。 その可愛らしさは、往人には劣るものの、わたしの心を掴んで離さない。 往人は公園に入ると、子供たちとは交ざらず、ひとりで遊びだした。 そうだ!! あの子達になら往人も笑わせてあげることができるかもしれない。 同じ歳の子なら、変に緊張しないで、願いを込めれるかもしれない。 そうと決まれば、「善は急げ」ね。 往人は……あ、いた。 「往人、来なさい。こっちよ」 わたしに呼ばれた往人は、歩いて私のもとへ来てくれた。 「なに?」 わたしは往人の肩をあの子達の方へ向け、指を指しながら言った。 「ほら、往人と同じ歳ぐらいの子供がいっぱいいるから…」 往人はそれがどうかしたのか?という顔でわたしを見る。 「だから、その人形を持っていきなさい」 「なんで?」 「その力で、みんなを笑わせてあげるの」 「どうして…?」 わたしが言う意味がわからないのか、往人は顔に疑問符をたくさん付けている。 「わたしじゃダメみたいだから…」 「……ダメ…だったの?」 「……うん」 もちろん嘘である。 わたしはあの子達に話し掛けてもいない。 すべては、往人が法術を使えるようになるためのこと。 往人の上目使いで訊いてくる表情に鼻血が出そうになりながら、必至でこらえてわたしは言った。 「だからね、行ってくるの」 「……うん。わかった…」 物分りがいい子でよかった。 しかし、自信なさそうに往人はあの子達のところへ恐る恐る歩いていった。 遠くからじゃほとんどわからない。 だけど、わかっている。 往人は人形を動かせなかった。 必至に人形を動かそうとしている往人。 往人の必至さが伝わってくる。 だけど、無情にも人形は動かない。 始めはたくさんいた子供たちが、ひとり、またひとりと去って行った。 そして、もう、往人の周りには誰もいなくなってしまった。 わたしは、間違っていたのかもしれない。 置き去りにされた往人を見て、わたしはそう思っていた。 往人の手には、まだ動かない人形があった。 そして、往人の目に光るものを見つけてしまった。 やるせない気持ちになる。 胸を締めつけるような感覚に陥る。 ごめんね、往人。 でも、仕方が無いことなの……。 わたしは、ひとり置き去りにされた往人のもとへ向かった。 往人に気づかれなかった。 わたしはしゃがんで、往人の人形を持った手をそっと被ってあげる。 そして、往人の肩を抱いてあげた。 「往人は誰にも笑ってほしくない?」 「……え?」 わたしの言っている意味が解からないらしい。 そうかもしれない。 往人はまだ、人を笑わせること、自分が心から笑うことを、分からないのかもしれない。 わたしは、涙が零れ落ちそうになった顔を、無理やり笑顔にしていたのかもしれない。 そして、往人にこう言った。 「わたしは笑って欲しいな。出会ったひとたち、みんな」 その言葉がどう往人に伝わったのか分からない。 ただ、赤く染まり始めた空が、わたし達に長い影を作らせていた。 ■LIST■ ■HOME■ |